前田・佐山対談

お久しぶりです。仕事と遊びが忙しくて、ずっとサボってました。
週刊文春での前田と佐山の対談を紹介。
とりたてて、面白いことを言っているわけではないが、この2人の橋渡しをしたのが、真樹先生がしたってのが、燃えるっす。

真樹そもそも、佐山君の紹介で前田君はブロレスの世界に入ったんだよな
佐山そうですね。元々はある空手の先生を通して偶然知り合ったんです。
前田はい。でも自分の入門当時、佐山さんはずっと猪木さんの付き人でしたから、ほとんど会う機会はなかったですね。
真樹佐山君は、前田君をスカウトしてきて、どう思って見てたんだ?
佐山人間的には純粋で、すごくいいと思いますよ。二年間ぐらい一緒でした。
前田今日は何十年かぶりにこうやって会わせてもらいましたから、思い切って言わせてもらいます。
自分には、今振り返ってもすごく不思議なことが一杯あるんですよ。例えぱ猪木さんの激変ぶり、そして佐山さんの激変ぶり。一番最初に十七歳で佐山さんに出会ったときに、「ああプロの選手ってこんなに爽やかで、こんなにすごい人たちなんだ」とすごく感動したんです。
真樹そしたら、どんなことがあったんだ?
前田入門当時、シャワーから猪木さんが上がってくると、鏡を持って、顔が見えるようにする役をやっていました。鏡を持ちながら「わあ、猪木さんの眼って綺麗だな」と思っていつも見ていたんですが…。
真樹猪木の澄んだ眼が変わったから、新日本を出てUWFに行ったのか?
前田そもそもは猪木さんと新間寿さん(※アントニオ猪木の元側近で元新日本プロレス営業本部長)に、UWFに行ってみろといわれたんです。その頃、ウチの母親が径我で入院していて金も必要だった。実はあの頃、レスラーをやめようかとも思っていたんです。自分なりに努力しても、相手のスキルが高くないから、どうしようもない。
あれはやってくれるな、これはやってくれるな、という話ばっかりで。自分は、プロレスをやっていなかったらマグロ漁船に乗って金を貯めて、その金でアメリカに行こうと思ってました。新日本で何年かやらせてもらって、身体も大きくなったし、海外に修行に行かせてもらって英語も喋れるようになった。それで十分じゃないかと思ったんです。
真樹でもお袋さんの病院代も必要だし、UWFに行ったと
前田そうです。当時の猪木さんは、実は、今のK-1のようにTV局二局による放送を目指してたんです。UWFをフジTVで、新日本プロレスはテレ朝で、という形です。でも秘密で進めていたのがテレ朝に露見して実現できなかった。
UWFに関していえば、選手が思った以上に大きなビジネスになったんですよ。選手はとにかく練習、試合、その繰り返しです。
でも周囲は「こいつらを使って金儲けが出来る」と分かっていた、佐山さんもそういう目にあった時期があるし、俺もそうだった。
佐山それはその通りだね。
前田自分たちは、スポーツぱっかりで世間知らずでしたから。悪いヤツらにまんまと引っかかった。
真樹まあでもプロになるというのは、そういう面もあるんじゃないのかい。金儲けも必要だし、爽やかだけではいられないだろう。
前田でも、自分が自信を持って言えることは、大阪から出てきた時と何も変わっていないということです。
真樹佐山君は猪木さんについてはどう思う?
佐山いやもう、先生です。でも、さっき眼が変わると言いましたが、男は四十歳になったら自分の顔に自信を持て、と言いますよね。守らなきゃいけないもの、というのがありますから。さっき言われたような仕組みから自分の身を守るには、自分は絶対強くならなきゃいけない、という思いがあった。自分は、リング上で強いヤツがリングを降りても強い、というのは見たことがないので。
真樹佐山君はアントニオ猪木に憧れてプロレスラーになった。前田君はたまたま佐山君に誘われてプロレスに行っそみたところに猪木がいた。見方が違うのも当然かもしれないな。
しかし君らは、色んな選手を連れてきたよな。ヒクソン・グレイシーは佐山君が連れてきたんだよな。
佐山そうですね。
真樹最初にヒクソンを連れてきた時、ファイトマネーはいくらぐらいだった?
佐山ヒクソンは最初は千五百万円でしたね。きっかけは、ロサンゼルスにウチの支部があるんですが、そこの奴らが最初にヒクソンを達れてきたんですよ。
真樹ヒクソン佐山聡をリスペクトしてたもんな。A・R・ノゲイラ(初代PRIDEヘビー級王者)、ヒョードル(現PRIDEヘビー級王者)を連れてきたのはこっちだな。
前田その時点でもう、グレイシーは、ベラポウなお金がかかる存在だった。それでは興行にならないから、一から無名のヤツを連れてきてやろうということで。
真樹当時はまだ、二人とも無名だったもんな。
前田ノゲイラも、アメリカで試合をしてましたけど、当時はまだグラウンドも冴えていなくて、しょうもない判定の試合ぱっかりでしたよ。ヒョードルは、元々はどっちかというと柔道の選手なんですが、寝技がそんなにすごかった記憶はない。ただ、何というか天才肌的なところがあった。
真樹二人は今、注目してい選手はいるのか。
佐山いや、やはり精神的なものを鍛え、国体を複活させるほうが先ですよね。
真樹前田君のほうは?
前田今、所英男(※昨夏の「HERO’S」で”惨斗の絶対王者”と呼ばれるA・F・ノゲイラに勝利し一躍ヒーローになった。現在も清掃員の仕事をしながら戦う異色のファイター)という選手を可愛がってるんです。
ああやって働いてまでも、リングに上がるという選手は、なかなかいない。だから、みんなをちゃんと食わせてやりたい、という思いはあります。
ところで佐山さんは、何で修斗を離れたんですか。
佐山修斗はね、減茶苦茶になっちゃったの。
前田実は、佐山さんが修斗から離れた一、二年後に、修斗の人が二人で自分のところを訪ねてきたんですよ。
「ロシアの七十キロ、八十キロ級の人間を紹介してくれ」って。
当時俺は、「佐山さんと俺は確かにいろいろあった。でもあの人だって、プロレス界を敵に回しても、修斗のために一人で頑張ったのに、追い出すのは酷い話じゃないか」
といったんです。それをちゃんとした形に戻したり、修斗から他個体に対してやった中傷発言をきちんと改めたら、タダでブッキングしてあげるよ、ってそこまで言ったんです。
佐山修斗にも色々な派閥があったから「もうやってられない」となった。スポンサーも絡むし、嫌になっちゃう。みんな、修斗って名前が欲しいの。それだけで集まってくる。これも人間の性でさ。でも前田は今いいこと言ってくれたよね。
前田自分もリングスで一人でブッギングなどをやっていたので、分かるところがあって。でも、色々な人に会うと、今でも佐山さんとのいい思い出を、みんな言うんですよ。
真樹こうやって話をするのは二十年ぶりだろ。後輩の面倒も見ないとな。
佐山面倒だなんてとんでもない。彼は大物ですから。でも、話はしたかったんですよ。
前田俺は一回、佐山さんに留守電を入れたでしょう。
佐山え?知らない、知らない。
前田小林邦昭さん(※タイガーマスクの往年の好敵手で、マスクに手をかけた”虎ハンター”)が、近所に住んでいるのですが、癌を患ったり離婚したりして、可哀想で。それで留守電に「小林さんがこういう状態なんで、佐山さん、元気付けてあげてくださいよ」って留守電入れた。もう、三年ぐらい前です。今も管を入れて、身体に直接抗がん剤を流し込んで。それでもトレーニングして、身体は維持していました。
佐山連絡は取っているよ。「また試合やろう」っていったら向こうも「やろう」って言ってた。
前田俺と会うたびに「佐山はどうしてる?」ってずっと言うんですよ。新日に入った頃を思い出すと、毎日が修学旅行みたいな感じだったんですよね。練習は大変だったけど今でもふっと夢に見ますよ。
真樹そういえば今年は、暗示的な年なんだな。総合格闘技は、大きく分けたら二つ。立ち技の原点が大山倍達。組み技の原点が力道山。たまたま今年は二人の映画が公開されている。
前田実は大山先生には、最後に会っているんですよ。亡くなる年(94年)の前年の12月。その時のことはよく覚えています。何だかものを見ていない感じで、目の中に死相があった。お会いした後、冗談で「まさか亡くなったりして」と言っていたら、本当になって。「飯を食おうと言っていたのに風邪をこじらせてすまん」という手紙を何度かもらいました。
真樹俺は後楽園ホールのサウナで、亡くなる年の3月に会ったんだ。桜が咲く頃には退院できるからな、と言いながらサウナで背中を流してな、それから四十日ぐらいだった。佐山君は大山先生は?
佐山お会いしていないです。でも大山先生の考えは、よく聞いていました。
真樹とりあえず、二人の身近な目標は何だ?
前田自分のやってきた部分に責任を持ちたいですね。総合格闘技の創成期に関わった人間なんで、みんなが死んだ後も続いていくようなものにしたい。
佐山私は格闘技を一心不乱にやってきたから、今は精神的な部分をやりたいんですよ。格闘技が見世物だけにはなって欲しくないし、もっと精神的に、若い人たち、子どもたちに「こうなんだよ」といえるような意義のある格闘技界になったらいいですね。でも私が何より目指しているのは、戦後六十年いまだに自立できない日本の精神的復活です。
前田佐山さんのお子さんも、もう大きいでしょう?
佐山今度高校一年だね。もうバスケットばっかり。運動神経がよくて、都のバスケットの選手です。でもよかったよ、前田とこうやって話せて。

邦明の話はショックだな。前田のガチっぷりと、佐山のいい加減さと毒(「リング上で強いヤツがリングを降りても強い、というのは見たことがないので」等々)の対比が凄いな。