カズ

週刊文春での阿川佐和子のカズのインタビューを抜粋して紹介。やっぱり、カズはかっこよすぎる。

阿川:七月二十日に、突然、J1のヴィッセル神戸からJ2の横浜FCに移籍すると発表なさってビックリしました。いつ頃、決めたんですか。
三浦:発表会見の二週間前にオファーがきてからですよ。
阿川:エーッ、そんな急な語なの!?
三浦:まあ他のクラブは去年から話があったりしたけど。国内のJ2のチームと、正式にじゃないけど今年からプロリーグが始まるオーストラリアのシドニーFCと、僕の知り合いが「もう一回ブラジルに来ないか」と、一部リーグジュベントゥージというチームの話を持ってきてくれたのと。
阿川:横浜FCからのオファーは、最初はどう思われましたか。
三浦:横浜はフリューゲルスがなくなるというとき横浜の市民が残したチームですから、経営的に大変だと聞いていたんです。僕はヴィッセルと来年の一月まで契約が残っていて、通常は移籍してもその期間の給料とかいろんな条件は同じものを保障しなきゃいけないんですよ。だから、それも含めてホントの話なのかなと。
阿川:保障できるんかいなって。
三浦:で、達絡がきた一週間後に会って話を。僕、知らなかったんですけど、レオックというスポンサーがついたから大丈夫だと。
阿川:オファーのあった四チームの中から横浜FCを選んだ理由は?
三浦:ちょっと言いにくいこともあるんですけど、僕が中心になって、監督と選手の間に入って、リーダーシップをとって引っ張って行ってほしいと。僕がやっていかなきゃいけない使命みたいなものがしっかりしていて、一番やり甲斐があると思ったんです。でも横浜にははっきりと、僕は一人でチームを勝たすことはできない、といいました。僕はやっぱり十年前の僕じゃないし、ヴェルディ時代の若い僕じゃないから。もちろんヴェルディのときも、みんなに助けられていたんでしょうけど、自分が頑張って、自分が活躍すれば勝てるっていう気持ちがあった。今はもう三十八歳ですから。
阿川:カズさんがもう三十八歳かあ…
三浦:年齢的に衰えてないといったら、これは嘘ですから。スピードが当時よりあるかないかっていったら、ないに決まってるんですね。ただ十年前に一〇できたところが、五または三になってるかもしれないけど、まだまだできる仕事はあるし、それをいろんな人、それはクラブの人間、もちろん現場の選手とペアを組むことで自分のマイナスを絶対プラスにもしていけると思うんです。そうなったときにチームはやっぱり強くなると思ったので。
阿川:J1からJ2のチームに行くことを屈辱的だとは?
三浦:十年前の自分だったらそう思うかもしれないけど、今はJ1でもJ2でも自分を評価してくれるところに行きたいから全然気になりませんね。
阿川:カズさんなら選手を引退して監督を目指すとか、スポーツキャスターになるとか、他にも選択肢がたくさんあったと思うんですけど。
三浦:まったく考えなかった。サッカーをプレーすることが好きで、それをやりたいっていう情熱がまだまだあるし、まだプレーヤーとして成長したいと思ってますからね、本気で。もちろん年齢的な衰えで体が大変なときもありますけど、それはそれで僕としては楽しい部分なんです。
目標を設定してそれに向かっているとか、苦しい思いをしてるときは

阿川:楽しいぃ!?
三浦:「Mナル」って言うんですけど。マゾヒストでナルシスト(笑)。
阿川:アッハッハッハッハ。こう言っちゃナンですけど、横浜FCはJ2でも成績がかなり下のほうでしょ?
三浦:そうです。J3があったら落ちてるところです(笑)。
阿川:自分のグラウンドも持ってないんでしょう?毎日練習場所違うとか。
三浦:そういう部分もよくしていきたいというクラブの方針もありますし、イギリスやブラジルでも施設が整ってるほうが少ないぐらいなんですよ。僕がいたイタリアのジェノアなんかも「えっ!?」というような施設でしたよ。でも、五百年ぐらい前の建物使ってて歴史を感じるから不便さを超越したものがありましたけどね。ブラジルなんかシャワーと言っても、壁から水道管が突き出してて水しか出ないところがたくさんありましたよ。それを考えれぱ、原点に返るじゃないですけど、もう一回そこに行くのも楽しいかなと。実際には慣れるまで苦労するかもしれないけど。たまに車の脇で着替えるって噂も聞いたので。
阿川:エエーッ?
三浦:クラブハウスがないとこもあるんでしょうね。そういうときこそ、僕はスーツ着て行っちゃおうかなと。でも、着替えるのは車の脇って(笑)。
阿川:カッコいい!でも、カズさんは試合が終わってシャワー浴びると、みんなはバスタ才ルを腰に巻いてるだけなのに、一人だけバスローブを着てるって有名なのに(笑)。
三浦:だから、グラウンドしかないところにバスローブとマイ椅子を持って行って、車の横に椅子を広げてガウンを着て座ろうかなって(笑)。
阿川:それ、名物になっていいかも(笑)。でも、天下の三浦知良がねえ。
三浦:いいんですよ。そういう部分も理解して契約してますから。
阿川:ちょっと辛いなと思う部分はどこですか。
三浦:うーん…。怪我をしてなかなか治らないとき辛いとか。他には特にないですよ。みんなが思ってるほど悲劇のヒーローじゃないですから。
(略)
阿川:(カズの息子が)もう二年生!?サッカーやってるんですか。
三浦:FC東京のスクールに通ってるんですけど、僕の子どもが入るから、コーチたちがかなりビビッてたらしいんですけど、実際見たら安心したみたいです。ハハハ。本人は頑張ってるんですけど。
阿川:この対談見せないでくださいね(笑)前にお会いしたのはフランスW杯の出場が決まったときで、「おめでとうございます」と申し上げたにもかかわらず、次の年にフランスまで行きながら……。
三浦:外れて帰ってきた。
阿川:あれは侮しかったでしょう。ブラジルから「俺が日本をW杯に連れて行く」と帰ってらして。W杯に出るのが夢だったのに。
三浦:W杯出場っていうのは僕が言い出しましたからね。当時の人は代表選手でも現実的じゃないって言わなかったですから。それから、自分が中心で、ずっとやってきて、予選も戦ったから、当然98年のW杯に出られるものだと思ってました。だから、やっぱり残念でしたし、言葉には表せないものがありますよね。
阿川:ねえ。切り換えるにはどうやって自分を納得させたんですか。
三浦:外されたからといってサッカーをやめる理由は一つもないし、今後もプロとしてサッカーを続けていくことしか考えなかったから、切り換えるというよりも自然に次に向かっていこうと思ったんですね。何があっても、いつもそう思いますから。
阿川:「さあ、次だ!」と。
三浦:次のW杯というより、一日一日、一試合一試合という感じ。今なんか特にそうです。もちろん代表のユニフォームをもう一度着たいという夢はある。でも、その大きな目標よりも横浜で一試合一試合勝っていきたい。その中で自分がいいプレーをして、横浜を勝利に導いていきたいという気持ち
が一番強いです。

阿川:昔の仲間ではゴンさん(中山雅史)が唯一現役で。
三浦:お互い自分からはやめられないというのはあるかもしれない(笑)。
阿川:みんな引退しちゃって。
三浦:それは引退しますよ。常識で言ったら、僕らがやってるほうがおかしいみたいですから(笑)。
阿川:若い頃、三十八歳まで続けると思ってらっしゃいましたか。
三浦:いや、二十五、六のときは三十二ぐらいまでやって、スパッとやめるんだろうなと思ってました。でも、実際は三十一のときにヴェルディを退団して、クロアチアに行って。一年半の契約だったから、「ああ、クロアチアが最後なんだろうな」と思って。
阿川:ところが…。
三浦:今度は京都(パーブルサンガ)から誘われて行って。「ああ、京都が最後なんだろうな」と。で、一年半やったら、ヴィッセル神戸から二年のオファーが来て。二年経つと三十五だから、「ホントに神戸が最後なんだ」と(笑)。
阿川:アハハハハ
三浦:で、神戸で四年半やったら、また横浜から一年半の契約がきて。もう「これが最後だ」と言わないぞと思いましたね。これ以上言ったら、嘘つきになるなと(笑)。
阿川:その都度、「えっ、誘いがきちゃった」と?
三浦:過信ではなく、絶対来るだろうと思ってますから。もし来なくても、自分からどっか探しに行くぞとも思いますし。
阿川:ハア〜、そんなに現役がお好きなんですね。体カ的にキツイなと思うこともあるでしょ?
三浦:僕は練習をやるほうなんで、練習をやっていれぱそんなに急には落ちません。ただ、二十代の頃とはガーンと押していけるパワー、瞬発カが違いますね。あと最近は朝までカラオケがあったりするとキツイですね(笑)。
阿川:カラオケ行かれるんですか?
三浦:試合が終わったあと、次の日が休みだと行くんですよ。昔は行ききっても、翌日に修複できたんですけど。
阿川:「行ききる」って何時頃まで飲んで歌ってるんですか。
三浦:まあ、長いときで次の日の昼の十二時ぐらいまで。
阿川:エエッー
三浦:それは年に一回ぐらいですよ。朝の五時ぐらいまではよくあるけど。
阿川:それも、カズさんはマイク持って歌うだけじゃなくて、踊ったりするんでしょ?見たことないけど。
三浦:まあ、端から見たらそうでしょうね。僕から見たらおとなしくやってたつもりでも、「今日はだいぶノッてましたね」って言われちゃうから。マイ・マイクスタンドあるし。
阿川:で、矢沢永吉みたいにパーンって引っ繰り返したり?
三浦:スペースがあれぱ(笑)。
阿川:アッハッハッハッハ。
三浦:スーツでバチッとキメて行って、帰りにはジャージになってるときがありますから。
阿川:何、それ?
三浦:行きつけのカラオケ屋さんにジャージ一式が置いてあって従業員がいいタイミングで「そろそろ着替えますか?」って持ってくる(笑)。
阿川:中森明菜さんの『少女A』が十八番だとか。
三浦:レパートリー変わってないです。その頃のアイドルの曲が多いですね。最近、演歌も入ってきました。やっと絵になるようになってきて(笑)。
阿川:飲み方は昔から変わらず?
三浦:みんなで騒ぐのが好きなんですけど、昔よりは静かなとこで飲むことも増えましたよ。
阿川:バーでボルサリーノかぶって。
三浦:そういう形つくるの好きなんですよ。横からとか後ろから見られたらどうか考えてる。基本的には一番奥の端でみんなが見える席が好き。移動のバスも一番後ろの一番左ですから。人に背中向けてるの嫌いです、撃たれると困りますから(笑)
阿川:ゴルゴ133じゃないんだからっ(笑)。
(略)
阿川:日本のサッカー選手で、カズさんほど数多くの監督の下で走ってきた人はいないですよね。
三浦:この前数えたら、三十五人だった(笑)。代表も合わせると。
阿川:ジーコ監督はトルシエ監督とまったく違うタイプで、じれったいと言われたりもしてますけど…。
三浦:いいとか悪いとかじゃなくて、トルシエは監督、ジーコはやっぽり選手だと思います。トルシエはすべてを指揮官として見て判断してた。ジーコは選手としてスーパー・スターだったし、人間性が柔らかい人だから、今でも自分が選手としてのイメージで選手を見てる。それはインタビューを聞いていても、あ、この人選手だなあと思うところがありますね。日本の指導者はトルシエのやり方のほうがモダンで理論的でわかりやすいから好きですね。今、現場にいる四十代の監督はみんなトルシエの影響をすごく受けてる。でも、両方とも成績がいいからいいんじゃないですか。
阿川:川淵さんなんか、ジーコさんのこと好きですよ。
三浦:それはどうなんでしょう。トルシェのほうが言うこときかなかったんじゃないですか(笑)。それはそれだしね。ジーコは人聞性も違いますよ。
阿川:やっぱり監督によって合う合わないはありますか。
三浦:あるんじゃないんですか。向こうがこっちをあまりよくないと思ってるとすぐわかりますよね。でも、十年前、僕が代表で一番中心になってやってる頃は、僕のプレースタイルを嫌いだとか、使わないなんて人はいなかった。誰が監督になっても組対代表に選ばれてたし、誰がクラブの監督になっても黙らせるだけの実力があった。でも、今は十人監督がいたら三人はいいと言っても七人はいらないという。それはやっぱりカが落ちてるということなんですよ。それが現実ですから、冷静に受け止めなきゃいけない。
阿川:冷静ですねえ。
三浦:でも、まだ三人いたらいいと思いますよ。それがゼロになったらやめるときかもしれないですね。または試合後のカラオケができなくなったらやめるんじゃないですか(笑)。でも、周りにどう言われようが、できるとこまやって自分で決断してやめたいです。
阿川:私、カズさんがポランティアで地元神戸の小学校を回って授業するアイデアを出して実行されているのはす凄いと思う。
三浦:いやいや。神戸は二、三年前にもJ1の残留争いをしたんですけど、そのとき上の人が「J2に落ちたら、もう誰も応援してくれなくなる。つぶれる可能娃がある」って言われて。でも、僕が生きてきたブラジルやイタリアでは、そこのサッカーチームは一部だろうが二部だろうが、その町になくてはならない存在で、なくなるということは減多にないんです。町の人たちが応援してくれるから。
阿川:ヴィッセルも地元の人たちに愛されるようになれば存続していける。
三浦:そのためにどうすればいいかを考えるとき、当時のフロントの人たちは常に「お金がない」って言うから、じゃ、僕らが学校に行って授業をするのならお金がかからないだろうと。
阿川:子どもたちの反応は?
三浦:「カズダンスやって」って。「君たち、知らないだろう?」って聞いたら、「お父さんに教えてもらった」とか「ビデオで見た」とかいうわけ。
阿川:やったんですか?
三浦:一回だけ(笑)。
阿川:私も見たいなあ。
三浦:それは横浜で。でも、最近、やるのがちょっと恥ずかしいんです(笑)。学校を回るのは十年、二十年と続けることがクラブの義務だと始めたので、僕がいなくなっても続けてほしいです。僕も横浜へ行りてもやりたいですし。
阿川:神戸を離れる気持ちは?
三浦:寂しいね。今まで行った街の中で一番気に入っていたからね。