阪神上場について二論

村上ファンドによる「タイガース上場」提案に対して、二宮清純玉木正之の意見を紹介。
まず、二宮清純

いやはやワキが甘いというかマワシがゆるいというか…。今年二月、村上ファンド西武鉄道株を大量取得した時、次は我が身と思わなかったのだろうか。
村上ファンド阪神電鉄株の約三八パーセントを取得し、筆頭株主に躍り出た。同ファンドは電鉄の百パーセント子会社である阪神タイガースの株式上場を提案、これにより球界は大揺れである。
しかし、そこが阪神電鉄の憎めないところでもある。以下は私の体験談。
九〇年代中盤、タイガースが弱かった頃のことだ。あるテレビ番組で発した私の発言が電鉄の広報担当者を刺激した。
タイガースの親会社である阪神電鉄の営業距離は、わずか四十五・一キロしかない。全国大手私鉄十五社の中では下から二番目だ。そんな小さな電鉄会社にあってタイガースはグループのシンポル以上の存在である。ならばもっと優秀な人材を球団に送り込むべきだ。少なくとも本社の部長クラスを球団幹部に出向させるのは間違いである。そんな趣旨だったと記憶している。
その後で続けた二言がちょっと余計だった。「(阪神電鉄の営業距離は)マラソンの距離(四十二・一九五キロ)よりもちょっと長い程度。全盛期の瀬古利彦中山竹通なら二時間十分くらいで走りますよ」
翌日、私の事務所に抗議電話がかかってきた。
「いくらウチの距離が短いゆうても二時間十分では走れまへんワ。アンタ、踏切を計算しておらんでしょう」
受語器を握ったまま、ひっくり返りそうになった。さすが阪神、抗議の中にもジョークをしのばせているとは!同社に対する私の親愛の情が深まったのは言うまでもない。
本題に入ろう。この御仁、タイガースファンだという割にはコメントに味がない。
「上場禁止という野球協約の改正もありうる」(根来泰周コミッショナー)
この国は資本主義社会ではなかったのか。
次はもっと笑えない。
プロ野球は社会的な国民の公共財産。ハゲタカが乗っ取って売買する。そういう対象になるのは(野球協約の)第三条違反」(巨人・渡辺恒雄会長)
プロ野球は公共文化財で普通の商売とは違う」(パ・リーグ小池唯夫会長)
まったく開いた口がふさがらない。昨年、オリックス近鉄の合併が浮上した時、「プロ野球の球団は公共財。企業の論理で全てが決まっていいのか」との識者や世論の声を無視し、縮小均衡型の球界再編を主導したのは、いったいどこの誰だったのか。
商法をタテに「合併は(商法上)何の問題もない」と開き直った球団の幹部もいたと記憶している。
根来コミッショナーに聞きたい。合併が「YES」で上場が「NO」という理屈はどこから来ているのか?何より、昨年の合併に際して、公共財の公の字も口にしなかった者たちが、ここぞとばかりに公共財という言葉を口にするのは、ちょっとムシが良過ぎるのではないか。
冷静に考えれば、ひとつの企業が公共財であるプロ野球球団を独占している今の形態の方がはるかに閉鎖的でリスクが高いように思われる。それがはっきりかたちになって表れたのが近鉄の身売りも同然のオリックスヘの吸収合併だった。
これまでこの国のプロ野球は親会社の広告塔に過ぎなかった。赤字は損金として計上され、広告・宣伝費で補填してきた。
昭和二十九年八月、国税庁国税局長あてに次のような通達を出している。
<親会社が、各事業年度において球団に対して支出した金銭のうち、広告宣伝費の性質を有すると認められる部分の金額は、これを支出した事業年度の損金に算入するものとすること>
事実上の優遇税制は、逆に言えば経営に対する意欲を削ぎ、プロ野球を”タニマチ産業”へと堕落させた。要するに親会社にとって球団は単なるコストセンターであってプロフィットセンターではなかった。もちろん地域に根ざした公共財でもなかった。
もう一度、おさらいしておこう。昨年の思い出すのも忌まわしいあの合併はたとえれば、こういうものだった。村も過疎化が進み、檀家の数も減ってきた。村には日蓮正宗浄土真宗、二つの寺があるが、寄進も減り、もうやっていけない。えーい、この際ひとつになるか。
それぞれの宗派に思想と信条があるように、球団には球団固有の歴史と文化がある。それが無視され、踏みにじられた。だからファンは怒ったのである。
少なくとも私が知る限り、「村上ファンド」代表の村上世彰氏はタイガースをどこかの球団と合併させるとも、売り払うとも言っていない。それどころか「阪神タイガース」というチーム名も守り抜くと言っている。もしも「村上インベスターズ」にするというのなら、「NotForSale」の旗を私も掲げるが…。
<タイガースはファンのものです。公共のものです。一個人がどうこうするものではない。分かり切ったことです。であれぱ阪神電鉄が100%の株主でいいのか、ということになります。ファンのものであるなら、ファンが球団を持つべきです。ファンが球団を見守り、ファンが球団に注文を出す。そうすることでファンの望むチーム作りが行われ、タイガースを良くすることにつながる。”渋ちん”などと言われるような経営はファンが許さない。一般の人が球団株を持って、運営にかかわるのが本来のプロ野球球団のあり方ではないか。皆さんはどうお考えですか>(十月七日付デイリースポーツ一面「電鉄幹部との会談での村上氏発言」)
スポーツクラブが上場されることは欧米では珍しいことではない。有名なのが九一年に上場を果たしたイングランドのサッカークラブ、マンチェスター・ユナイテッド(以下マンU)である。
マンUは市場から調達した資金で海外の有名選手を次々と獲得した他、スタジアムの改修費用にも充てた。イングランドではサッカークラブの上場が相次いでいたこともあり、サポーターもクラブの株式公開には概ね理解を示していた。
ところが、ひとりの資本家の出現がクラブとサポーターの関係を不幸なものにした。アメリカの富豪マルコム・グレイザー氏。米NFLタンパベイ・バッカニアーズのオーナーでもある同氏は、この五月、上場廃止に必要な七五パーセント超の株式保有に成功した。
これにより公共財が私物と化したのである。グレイザー氏がサポーターたちの憎しみの対象となったことは言うまでもない。本拠地の「オールド・トラフォード」が「ソールド・トラフォード」と皮肉まじりに呼ぱれるようになるなど、双方の関係は抜き差しならないものとなった。
一点、明記しておきたいのはサポーターが激怒したのは、時の経営者がクラブを上場したことではない。サッカーには何の興味もない外国の投資家が株を買い占め、上場廃止に追い込もうとしたことである。
グレイザー氏と村上氏を同列に扱うメディアもあるが、これはまるで違う。加えていえば村上氏が買い込んでいるのは阪神電鉄の株であってタイガースの株ではない。投資ファンドとして資産や業績に比べて割安な株を狙うのは、ある意味、当然の行為と言えよう。これがけしからんというのなら、この国は資本主義をやめて今すぐ社会主義の看板に掛け替えなければならない。
問われるのは阪神電鉄の対応だ。球固上場の是非は後述するとして、私が少々不満に感じるのは「新盟主」の座を勝ち取りながら何のビジョンも打ち出せないことである。
一昨年の優勝が「球界のカルロス・ゴーン」と私が命名した星野仙一氏のカリスマ的手腕によってなしとげられた奇跡だとすれば、今回の優勝は勝つべくして勝ったものと言える。中日に二度も○・五ゲーム差まで肉薄されながら、ガチっと受け止め、そのつど突き放した。まわしは取らせても、土俵際までは押させなかった。言わぱ堂々の横綱相撲だった。
星野氏からバトンを受け継いだ岡田彰布監督の采配も見事だった。あれは六月二十四日の試合だ。自らの意思でバントをした五番の今岡誠を岡田は叱った。
「パントをさせるためにオマエを五番に置いとるんやない」
星野時代の”つなぐ野球”から”決める野球”へ。これは「監督は代わったんや。オレの野球観がわからんのか」という岡田の無言のメッセージだった。
主催試合の観客動員数も十二球団最多の三百十三万二千人。巨人を二十一万人上回った。
政治でいえば阪神政権交代を果たした。野党から与党になったのだ。にもかかわらず、一部の幹部は未だに”野党ポケ”が脱け切らない。「ウチはたまに勝つから盛り上がるという声もある。常勝チームと言われても・・・」「営業的には巨人さんにも強くなってもらわんと・・・」
与党になった以上は球界繁栄のためのビジョンとビジネスモデルを提案すべきだ。それが政権党に課せられた義務と責任ではないか。
タイガースは今季から始まったインターリーグ(交流戦)で二十一勝十三敗二分けとセ・リーグ最高の成績を収めた。これが優勝の決め手となった。
昨年、球界再編騒動の際、一リーグによる縮小再編に最も反対し、行動に移したのが野崎勝義球団社長(当時)である。野崎社長の体を張った行動はファンからも支持され、選手会ストライキを経て、十二球団体制維持−新規参入球団誕生という流れを生み出した。
その副産物として交流戦が生まれた。タイガースがセ・リーグで最大の恩恵に与かったのは野球の神様からの褒美だったというのが私の勝手な思い込みである。
球界改革は道半ばであるとはいえ、最悪のシナリオを回避した背広組の功労者は野崎社長と星野SDだった。あの頃から、球界の潮目は微妙に変わり始めた。
今ならかりにタイガースが上場したとしても野球協約上認められないという理由でNPBから除名されることはあるまい。一枚上手の村上氏は持ち株会社をつくり、協約への抵触を避ける方法をとるかもしれない。
球団上場には市民株主の誕生によるチームとの一体化促進、市場からの資金調達による常勝チームづくりなどメリットがある一方でデメリットもある。負けが込めば株価は乱高下する。それが経営面でのリスクファクターとはならないか。投機を目的とした人物に乗っ取られることはないのか。
いずれにしても巨人戦の放映権料のみをあてにした一極集中型のビジネスモデルが崩壊寸前であることは言を侯たない。巨人だって自分が生き残ることに精一杯で、もう扶養家族を養うだけの余裕はない。
一極集中型から多極化へとなれば球団数を増やすことで底辺を拡大し、プレーオフキラーコンテンツにして収益力を高めたメジャーリーグが格好の手本となる。その改革の旗手は阪神をおいて他にはない。
暴論を承知でいえば阪神には稀代の知恵者・村上氏と組み、新しいビジネスモデルを提案するぐらいの気概が求められる。その最善手が上場か、それとも他に手はあるのか。
”寄らば巨人の陰”から脱し、球界全体の価値向上に資するスキームを作り上げた時、名実どもにタイガースは球界のリーダーとなる。(週刊文春10/20より)

コレに対して、玉木正之は自身のHPで、

M&Aコンサルティング(通称・村上ファンド)代表の村上世彰氏は誰かに似ている…と思い続けて考えて悩んで思いつかなんだところがハッとひらめいた!川上のぼるって知ってる?むかし腹話術師としてテレビにもよく出てた売れっ子のタレント。その川上のぼるの使うてた人形にそっくりやで。いや、ほんま。名前はフクちゃんやったかな?ちがうかな?忘れてしもたけどホンマそっくりや。ほな、その人形を使うてるのは誰やねん?ミヤウチか?ミキタニか?それともアラブの40兆円ともいわれるオイルマネーか?いずれにしろファンドマネジャーがタイガースのことなんか歯牙にもかけてへんことは明らかやで。そんなヤツと一緒になって新しいビジネスモデルのスキームを阪神はつくるべきやとかそうすりゃ球界のリーダーになれるとかなんとか週刊誌に書いたスポーツライターがおるけどホンマに阿呆やで。経済の勉強も(スポーツの勉強も)せんとちょっと新しい言葉を使うだけで知識は余所からパクルだけで権力(金の力)ににじり寄ってるだけで最低やで。はよ目を覚ませ。真面目に勉強せい!原稿は自分の腕できちんと書け!

と、反論。
では、玉木正之の意見を紹介。

プロ野球チームは「公共財」である。つまり「みんなのもの」である。なのに村上ファンドは「何をするねん」と怒るタイガース・ファンがいた。
たしかにプロ野球チームは「公共財」に違いない。という以上にスポーツとは国民共有の無形の文化財であり、スポーツを社会のなかで実践する団体は「社会のもの」(インフラストラクチャー=社会生活の基盤となる構造物や組織)といえる。そのような「公共財」は、一個人や一企業によって、所有されたり、利用されるものではない。
ならば、阪神電鉄という一企業が阪神タイガースを所有している(100%出資の子会社にしている)ことこそ、問題にされなけれぱならないはずである、ともいえる。
いや、タイガースだけではない。読売ジャイアンツ中日ドラゴンズも、ソフトバンク・ホークスも東北楽天ゴールデンイーグルスも……、日本のプロ野球チームはほとんどすべてが、スポーツ本来のあるべき状態になってない、といえるのだ。
近年人気凋落が騒がれる読売ジャイアンツも、V9以来の人気独占によって莫大な黒字を得たときは、その黒字か西部読売や中部読亮の赤字の補填にまわされていた。
また、全国的な読売新聞の販売促進や日本テレビの視聴率向上に貢献し、読売グループ全体の利溢に多大な貢献をした。
また、かつて「徳島ハム」という名称だった四国の食品企業は「日本ハム」と改名してプロ野球チームを所有し、その会社名をチームに冠することによって、全国に販売網を広げる大企業に成長した。
オリックスという会社も、その会社の事業内容を知っている人は少なくても、会社の名前を知らないひとは皆無といえる。それもプロ野球チームを所有したおかげといえる(プロ野球だけでなく、シダックスの野球部、神戸製鋼サントリーラグビー部など、日本のスポーツクラブは企業名を高めるために存在しているともいえる)。
昨年はパ・リーグ球団の莫大な赤字が強調され、人気凋落による利益の激減に悩むジャイアンツと結託した「球団数削減」「1リーグ化」への動きが表面化したが、『公共財』であるはずのプロ野球チームを所有し利用することによって、親会社が多大の利益を得てきたことも事実なのである。
阪神電鉄は総営業路線が40㎞程度で、デパートも梅田に1店舗あるだけの「小さな会社」である。にもかかわらず、近鉄(総営業路線500km以上)や西武、南海、阪急(同約150km)などと肩を並べる大会社と思われるほど全国に名を馳せているのも、タイガースを所有しているおかげといえる。しかも阪神の場合はタイガース球団も黒字経営で、金銭的にも親会社の利益に貢献しているのだ。
とはいえ、タイガースの場合は親会社があまり大きな会社ではないことから、逆にチームの企業色が薄められ、「阪神」という名称が地域名でもあるため、ファンにとってはチームが自分たちのもの(地域住民のもの)であるという意識が強くなった。
さらに関西地方(とくに大阪)は、江戸時代の初期に私財を投じて道頓堀川を開削した安井道頓や、近代大阪のシンボルである中之島公会堂(大阪市中央公会堂)の建設のため、明治時代に100万円という巨額の資金を寄付した株式仲買商の岩本栄之助など、「官」よりも「民」が社会貢献をする伝統がある。
甲子園球場も、アメリカ大リーグの例に倣うなら本来は地域社会のインフラ整備として税金で建設されるべきものだが、大正時代に中等学校野球大会(現在の高校野球)のための野球場がほしい、という当時の野球人の要請を受けて阪神電鉄が建設した(その球場を所有していることから、昭和11年プロ野球リーグを発足させようとした人人は、阪神電鉄に球団の所有とリーグヘの参加を呼びかけたのだった)。
そういう企業文化の伝統があるところへ「株主主権論者」の村上世彰氏が乗り込んできたのである。村上氏は阪神タイガース球団の株式を上場すれば『阪神電鉄の株主価値が向上する」という。しかしスポーツ(プロ野球)は親会社やその株主の利益のために行うものではない。
ましてや株式を大量保有している人物が会社を支配するとする「株主主権論」は法理論上も誤りで、そのような会社運営をしたアメリカの大会社は軒並み苦境に立たされている。村上氏は「ファンド」の利益を追求しているだけだろうが、もしも本音でプロ野球をファンのものにしたいと考えているなら、「本丸」である読売グループの株式に手を伸ばすのが筋と言えるだろう。(スポーツヤァNo129より)

もちろん、玉木氏の意見は、二宮氏に対する反論として書かれたものではないことを、頭に入れておく必要はあると思うが、ちょっとなあという感じ。確かに、僕も基本的には村上氏は「いかに自分が儲けるか」しか考えていないし、また阪神ファンではないと思っている。
だけどさ、いままでの阪神で、いいの?ってのは、あるんだよね。もちろん、そういうのん気さが阪神たるゆえんなのかもしれないけどね。しかし、例えば、甲子園に1年50億円もの使用料を払ってるんですよ。ファンが野球のために落としたお金を、野球以外に使っているわけなんですよ。野球で得たお金を野球に使うから球団=公共財であって、野球で得たお金を他の会社のために使われている今の状態はタイガース=公共財とは思えないんだよね。二宮氏の方も、異論のしがいはいくらでもあるけどね。
村上型人間が嫌いっていう感情ってのは、あるんだろうなと思う。正しいこと言ったからって、それが正しいと受け取られるとは限らないのは、自省もこめてよくわかる。どんなに善意の心がこもった悪事より、悪意があっても正義の方が僕は正しいと思うんだけどね。「どれほど悪い結果に終わったことでも、それがはじめられたそもそもの動機は善意によるものであった」カエサルの言葉ですが、さすがに素晴らしい。
ただ、球団の形として、上場球団があってもいいのではと思う。ソフトバンクのような昔ながらのタニマチ球団があってもいいし、広島のような独立採算型があってもいい(楽天も黒字を出したりしているが、楽天というネーミングライツを球団に払ってないのが結局、独立しているとはいえない)というか、日本球界の方向性が定まっていないんだから、いろいろな形の球団があった方が選択肢が増えるかと。
まあ、日本球界一番の悲劇は、巨人が盟主という巨人幕府体制が滅びたとしても代わりにリーダーシップをとろうとするものがいない訳で、それがためだけに、巨人幕府体制が続いているってことなんだよな。コミッショナーが中心となって、球界改革をするなら、何より言う事がないんだが、ナベツネの腰ぎんちゃくみたいなもんですからねぇ・・・この辺、幕末の際の孝明天皇の悲劇を見ているような感じがする。