朝日と高野連

週刊文春より、朝日新聞駒大苫小牧報道について

朝日の社説(28日付)は「後味悪さをこれ限りに」と題して、この事件と処分について論じている。そのなかには「大会を運営した高野連朝日新聞社は、不祥事は部長個人の問題と判断して、優勝は有効とすることを決めた」との一節がある。この処分は朝日新聞社の意向も反映しているというわけだ。
それにしては、この社説は高野連を主語にしての論じ方であり、高野連は「この際」こうした不祥事の責任は指導者や選手個人にあり、「チームの出場停止などにはつながらないという基本方針を改めて明確にしてはどうか」と論ずるのは、いささか傍観者すぎる。
なぜ、そういう見解が打ち出されないかを、運営の責任者として説明してほしい。高野連の古めかしい”全体主義的発想”を批判してもいいのではないか

なぜ、そういう見解が打ち出されないか?
理由は簡単で、甲子園という興行だからですな。結局、清く正しい高校生の姿が見たいという大多数のファンに支持されているのが甲子園であり、今回の駒大苫小牧については、そういうファンが、”選手達は可愛そうだ”と処分に反対したからにすぎないだけで、タバコや女性に対してのアレコレとかには、今でも厳しい処分を求めるだけの話。
ついでに書く。
僕は学校スポーツ大嫌いなんだけど、これは、自分が体育会系に属したことがないから言えるんだよなと思う。この辺は、先の戦争での日本兵は(道義的に)最悪だった。と言ってしまえば、兵隊さんはうかばれないわけで、体育会系はスポーツ界のガンと言ってしまえば、体育会系を通過した人たちは反発をするだろう。結構、根の深い問題だよなと思います。
さらに、ついでに書けば、あんなアホな戦略ともいえないような戦い方をして負けた軍部首脳は、なによりも職業軍人として裁かれてしかるべきだとは思っています。結局、そういう本当の意味での戦争(遂行)責任について、あまり論じられていないのが、日本のネックだなと思います。