ジャニーさん その2

雑誌サイゾーで、木山将吾(元・光GENJI)がインタビューを受けていたので紹介。

「そして、僕のペニスは口ではない何か生暖かくしめつけるものに包まれた。恐る恐る目を開けた。「げっ!うそだろ」今にも叫びそうになった。ジャニーさんが僕の上に馬乗りになっているじやないか。」(「第4章僕はジヤニー喜多川とセックスをした」より)

「ジャニーズの人問に対して恨みがあるとか、そういうのはないです。ただジャニーさんがしていることは犯罪だ、ということを世間に知ってほしい。”我慢すればデビューさせてやる”と、少年たちの弱みにつけこんだ行為は犯罪です。今ジャニーさんのしていることは、今、世間でよく起きている少年少女に対する性的虐待事件とまったく同じことなんです。僕は被害者のひとりとして、正直に話したい。
正直『何を今さら』っていう気持ちがあった。かって著書『光GENJIへ』(88年)でホモセクハラを告発
した北公次さんも、文春の騒ぎがあった頃は、フォーリーブスを再結成するために、メリーさんのところへ謝りに行ったらしいです。それ以来、彼は口をつぐんでしまいましたし。
しかし、週刊文春裁判に元ジャニーズの少年2人が証人として出廷し、真実を語ったと聞いて、その勇気ある行動に心打たれました。また、マイケル・ジャクソンのセクハラ裁判や、頻発する少年少女への性的虐待事件など、いろんなことが重なって、僕も真実を書こうと決意したんです。」

「僕は注射なんか打たれたくなかった。それがホルモン剤であろうと、多くのジャニーズタレントが陥った麻薬、覚せい剤であろうと、僕は絶対にそれを受け入れられなかった。」
(「第6章ついにデビューへ」より)

彼は、ホモセクハラ以外にも、ジャニー喜多川氏の異常な性癖を赤裸々に書いている。たとえば、ジャ
ニー氏が少年たちにホルモン剤を打っていたとか、あるいは少年の肛門写真や陰毛のコレクションをしていたとか。この取材でも「ジャニーさん自身が覚せい剤を打っていた可能性がある」と語る。だが、それを証明するものが何ひとつない。ただ彼の"記憶。に残っているというだけだ。
「結局、僕は逃げた人間です。北公次さんくらいの"伝説のアイドル"が告白すれば世間の反応も違う
でしょうが、"木山将吾"という名前は、昔の関係者もファンも誰も知らないでしょう。この名前は、僕とジャニーさんの間だけで決めた芸名なんです。『YOUは、この名前がいいよ』って、これでデビューするはずだった。でも、ジャニーさんの行為に耐えられなくなって、デビュー直前にもかかわらず、逃げざるを得なかったんです」
「『ジャニーズ王国に対して、こんなことして大丈夫なんですか?』と聞かれることもあるけど、大丈夫も何も、すべて真実ですから。これで逆に僕に何かあったら、大問題ですよ。それこそ僕は黙ってない。今のとこありません。ただ、最近ワイドショーやバラエティ番組などでジャニーさんの名前が出ることが多くなりましたね。この前も、今売れてる若手ジャニーズタレントがインタビューで『ジャニーさんのおかげで、僕らはデビューできました。僕らは、本当にジャニーさんに感謝しています』と言っていました。以前、本を出したときもそうだった。批判的な本が出るとわかった瞬間に、事務所とタレントがイメージアップのために動くんです」

ジュニアたち数人と食卓を囲んでいたときのことだ。ヒガシは何を思ったか、目の前の皿に、おもむろに自分のむき出しのペニスを乗せた。」
(「第5童ジャニーズ事務所の真実」より〕

「ジャニーさんに影響されてる方は、東山(紀之)さんだけではないと思います」
彼は著書の中でジャニー氏だけでなく、現役のタレントの奇行も語っている。
「みんなぼ14歳くらいから事務所に入って、初体験がジャニーさんという子が多いんですよ。そういう環境で育てば、影響されると思います。"そういうこと"が当たり前だと洗脳されてしまうんです。僕がジャニーさんに抱っこされているのを見ても、みんな普通にしているし、おかしいと感じなくなっちゃってる。そのまま大人になると、危ない方向に進んでいくでしょうね。現役のジャニーズタレントか第二のジャニーさんになる可能性は、十分あるでしょう」
彼は、事務所がいい方向に変われば、と願ってやまない。