創価学会とスポーツ選手

週刊文春に書かれていた創価学会系スポーツ選手の記事から、気になった部分だけ紹介。

「(石井館長の)師匠の芦原先生は大の学会嫌いでしてね。先生の前ではとても『学会員』とは言えないような状況やった。」

さすが、センセイ芦原。なお、石井館長

「母親は学会員だが、僕は無神論者。子供の頃は母親に連れられ座談会に行ったが、23歳の時には、ご本尊は持っていなかった。K−1も学会とは何の関係もない。確かにラウンドガールのコスチュームが三色旗(赤、黄、青。勝利、栄光、平和を指す。努力、友情、勝利じゃない時点で、僕的にはダメダメです(余談))の色になっていたが、下請けの勢作の人間に学会員がいて、彼が勝手にやったことで、僕はおこったんです。創価大の合唱団を呼んだのも下請けの演出担当者が創価大卒の学会員で、彼のツテを頼っただけで、あのイベント(98年東京ドームでのK−1。選手登場のゴンドラ、ロープ、優勝カップまで三色旗だった)以降、三色旗ねどは使っていない」

あまりの露骨な演出に、学会の集客を当てにしたと当時言われたものです。

水戸泉が一度、優勝したことがあるんですが、男子部の幹部で『横綱になったらどうしようか。相撲は神道日蓮正宗で綱をつけるのはまずいし、明治神宮に奉納もできないだろうに』なんて真剣に話し合ったことを覚えています。」

某匿名掲示板の書き込みとか見ていて、意外とわかっていない人が多いのがこのこと。神社にお参りしているレスラーが学会認定とか書かれていて、頭痛くなったことを覚えている。

ライオネス飛鳥は強引な折伏をする訳ではなかったが、宿舎だろうとバスの中だろうと、必ず決まった時間に勤行するものだから、迷惑がる選手もいて、一時は選手の中で『学会派』と『反学会派』に分かれ気まずい雰囲気になったこともあった。その中で折伏されたのが長与であり、ダンプだった。」

対して、元学会員だったジャガーが語る。

「学会から離れて、もう十年くらい経ちます。会員の活動は折伏が基本ですけど、強引な祈伏は当時から嫌いでした。確かに私も自分についてきてくれた後輩を入会させたことはありますが、今も続けている子は、ほとんどいないでしょう。
祈伏ができない人は周りから『お題目が足りない』と言われていましたが、当時から『それは違うんじゃないか』と思っていたんです。そんな思いが積み重なって離れたんですけど…。
池田先生にも何度かお会いしました。確かに立派な方だとは思いますが、先生に祈っている会員を見たら、『勘違いしているんじゃないかな』と思ったんです。私の祈りの対象はご本尊でしたが、彼らを見たらご本尊に祈っているのか、先生に祈っているのかわからない。
池田先生はもはや学会員にとって『教祖』、『生きているご本尊』のようになってしまっているんじゃないでしょうか・・・」

「イタリアの有力スポーツ紙『ラ・ガゼッタ・デッロ・スポルト』は02年5月25日付で『日本代表監督が護衛下 熱狂集団が監督を脅迫 宗教集団は中邑が除外されたことに不満』と報じました。
スポルト』は発行部数七十五万部で、執筆したのはトルシエ監督とも親しいベテラン記者。
さらに5月30日付のスポーツ全国紙『コリエーレ・デッロ・スポルト』紙も『宗教団体が日本代表監督を脅迫』の見出しで『創価学会という圧倒的権威を誇る仏教宗教団体のシンパが、会員である中村をW杯メンバーからはずしたことを受け、トルシエ監督に圧力をかけている。同会員としてバッジオがおり、池田大作名誉会長は中村のメンバー外しに憤慨している』との主旨の続報を掲載したのです」

「02年に古賀照子という女性が(サガン鳥栖の)新社長に就任。ところがこの古賀氏、地元でも有名な学会員だったのです。古賀社長は翌年、千疋氏を監督に据えたが、千疋監督も熱心な学会員である。
しかし、結局、千疋監督は極度の成績不振のためシーズン途中で更迭された。そして、翌年、松本育夫氏を招聘したのです。が、こともあろうに古賀社長は松本監督を、昨年夏の参院選公明党から出馬した引友和夫議員の激励会に二度連れて行き応援演説までさせた。二度目までは訳が分からず連れて行かれた松本監督も『スポーツは、政治と宗教と切り離すべき。こういうことはもうしません』ときっぱり断ったそうです。

まあ、こんな感じで学会とスポーツの関係が書かれているわけですが、笑ったのがこの2つの記事。

朝青龍聖教新聞で青年部長と対談し、「じゃあ、ボクもきょうからSGIの仲間になるよ」と発言している。

朝青龍、隙がありすぎ。このいい加減な発言に、一種の猪木イズムを感じてしまいました。

「このサガン鳥栖の例をみれば、学会がスポーツを何に利用しようとしているか一目瞭然。学会にとって会員のスポーツ選手達は、一般の人たちの”学会アレルギー”を無くすと同時に集票マシーンとなっている。
そして彼らのもう一つの使命は、池田氏を喜ばせること。政権与党にも入り、『ガンジー・キング・イケダ展』を世界各国で開いているのに、なぜ『一千万票』も『ノーベル賞』も取れないのか、池田氏はそれが不満でしょうがない。
そんな彼にとって唯一の喜びが、スポーツ選手や芸能人、文化人など社会的影響のある人が、池田氏や学会を讃えてくれること。それが近年体調を崩しがちの彼にとって、一番のクスリになっているのです。」