炭鉱町に咲いた原貢野球 澤宮優著 現代書館

原貢・・・原辰徳の父。高校球界をわかした名監督。
と、なるのでしょうが、僕的には、
・辰徳が生まれた日に、女遊びをしていた。
・断ると殺されると思って、夫人が結婚を承諾した。
・父親に殴られるとき、防具をつけていれば大丈夫と思い、辰徳はキャッチャー志望だった。
など、僕の好きな昭和イズムを感じさせる漢である。
そんな彼が、アナーキーな昭和30年代に、炭鉱町というこれまたパンクイズム溢れる町で、殴って蹴るというデストロイのもと、甲子園優勝を目指すという、非常にロックンロール溢れる物語。

いや、凄いよ。
「自分の脇にノックバット三本を置いておくことも忘れなかった。「ミスした選手を叩くためである」
「原のいるホームベースまで呼びつけた。そこから三塁のライン伝いにレフトへのポールまで往復ビンタの連続だった。
ホームベース付近で叩かれ始めて、気がつけばレフとの位置まで叩かれながら後退した。球場の観客も異様な光景に固唾を飲んで見守っている。呆気にとられたのは相手のチームだった。皆、ベンチで総立ちになって口を半開きにしたまま言うべき言葉も見つからず眺めているしかなかった。原は美川(投手)を睨み付けると、凄まじい形相で呟いた。
「お前、この試合で一点でも取られたら承知しねえ」
彼はこの瞬間、本当に殺されるのではないかという予感さえして恐怖で震えた。その試合は人が変わったように死に物狂いで投げつづけ、7回が終わった時点で17の三振を奪う力投を見せて、8対0のコールド勝ちを収めていた。

って、そんな現場見たら、相手チームが打てるわけねえよ。

まあ、こんな感じで、原貢の人間凶器ぶりがよくわかるのである。
で、この本では、原貢とナイン達、そして三池工業高校の軌跡を追いながらも、ただの高校野球万歳にしていないのである。
「手を出したらこの子はずいぶん上手くなるというときがあるんです。
でも今は絶対手を出したらいかん」
「甲子園で活躍した高校が帰ってくると、どの町も提灯行列をしたり、パレードをやったり、町を挙げて安売りセールをしたかったと思うんですよ。だけど高野連は”派手にやるな”とブレーキをかけるでしょ」

その他、ボーイズリーグなどはクラブ活動ではないため、高校の内申書に載らないことによる進学問題。三池工のように、地元の選手だけのチームが無くなったこと。

三池工の時代では許された、そしてだからこそ高校野球が愛された要因を、”教育”という一言で潰していく高野連文部科学省
なんども書いていることですが、僕は、特にこの構図がどうにも許せません。春の甲子園は、ダルビッシュ効果もあって、50万以上の人が
甲子園に足を運んだ。でも、選手そしてチームには、交通費や宿泊代はおろか、加盟料からなにまで自腹。それでいて、チームを助けた町内会がセールをやろうとすれば止めるというありさま。もうけているのは、一部の人だけ。一種の既得利権だよね。

高校野球をはじめ、スポーツを教育から離す一つの方法が、地域に密着した、クラブチームだと思う。
クラブチームなら、胸に地域の商店街をスポンサーにしてもいいんだし、変な話、鉄建制裁のトレーニングをしても、そのチーム内で了承していれば許される。自分の力にあったチームを自分で見つけることもできる。
少なくともサッカーの方は、近いうちにJのユースチームの高校サッカー大会出場も見込まれているし(反対もありますが)、またJリーグのユースばかりでなく、それぞれのクラブチームも、そのうち出場するんじゃないかという方向に動いている。最終的には、高校生世代の大会(部活、クラブチームなどをあわせた)に、なっていくと思う。
それが、本来の姿じゃないかなと思います。
高校のサッカー部ばかりじゃなく、地元のクラブチームでやったり、自分にあったチームを選択肢があって当然。
また、クラブチームの魅力って、高校出てからも、そのまま参加しやすいところなんだよね。
だが、高校野球は、そういう改革が進みそうにありません。
高校まで野球をやっていたという人が、ほとんどではないでしょうか。
競技志向の、エンジョイ草野球より上の層の行き場がないんだよね。野茂や谷沢が、クラブチームを作ったように、そういう社会人野球でもなく、学校野球でもなく、でも、競技性をもっている層を野球から離さないためのチームというのは必要だし、今、高校生が野球をやるといえば部活しかない現状だけど、クラブチームに入る高校生という他の選択肢があった方が野球界のためだと思うんだよね。
いいかげん、スポーツを教育から解放しようよ。