駒大苫小牧の出場辞退に思うこと

toroneiさんの、このエントリーを見て、気になったので、ちょっと書いてみる。
誤認されている方が多いように思うのですが、今回は、学校側が勝手に辞退しただけであって、高野連の処分ではありません。8日に、高野連の会議があって、その際に、裁定が出ますが、あまり重い処分mにはならないのではと思われています。また、なによりも、裁定を待てば出場はできたと言われています。
93年、高野連は、不祥事に関して連帯責任を問わないと方針を掲げました。昨年の駒大苫小牧の部長による暴力事件が明らかになった際も、その部長に対して処分は下りましたが、野球部自体には優勝取り消しなどの処分を下さなかったのが、いい例です。今回も、高野連の裁定を待てば、出場できただろうと言われています。
今回の事件に対し、私が思ったことは、連帯責任についてではなく(上に書いたように、連帯責任で、出場を取り消されたわけではない)、(自ら連帯責という形をとった)学校とスポーツという関係についてです。
高校にとって、部活動というのは、学校の宣伝広告である。これは、一部の私立校だけの問題ではなく、公立の学校にも、この考えがあるように思われます。
今年のサッカー高校選手権で、多々良学園のことが報道されましたが、多々良は、学校の人気が下がった→人気をあげる為にサッカー部、野球部に投資しよう→よりスポーツ環境を整えた新校舎を設立→その事業費返済をOBの寄付でまかなおう→寄付が思ったより集まらず→計画破綻 という転落。部活動を学校の人気取りと考えていた高校の典型といえるでしょう。
そして、駒大苫小牧。本州などから選手、俗に言う傭兵部隊を集めた高校であり、野球部を広告塔と考えている学校の典型といえます。そして、宣伝・広告をするということは、それだけ注目されることであり、正と負の効果がある。北海道から初の夏大会優勝、それによるマスコミの盛り上がりは、正の効果。しかし、部内不祥事は、負の効果。今回、出場を辞退したのも、出場して叩かれることより、辞退した方が、傷が浅いと考えた結果としか、僕には思えません。先の部長による暴力事件の際も、優勝辞退の話が、学校側から出たように(高野連は、そこまでの処分を求めていなかった)、今回の出場辞退は、学校の体面を保つために行った処置のように思います。
もう一度、書きますが、今回の辞退を”連帯責任”という面で見ると誤ると思います。むしろ、学校というものにあるのではないでしょうか。
駒大苫小牧の校長は、「ウチのチームには、(出場の)資格がない」と言っていましたが、選手には、資格があったのではないか。この校長は、辞職されるそうですが、どうせなら、今の生徒を守ってから辞めて欲しかったものです。
8日の高野連裁定ですが、自分のバカな行動が周りを傷つけることもある、という社会のルールを学校で学べなかった補導された生徒が、大学や社会人野球で処分されるのは仕方ないと思いますが、現野球部には無処分であることを願います。
結局、部活動は教育の一環とかいう名目を掲げておきながら、実際は部活動を商売にしている学校、そして大会運営者という、裏の部分とのギャップが、日本の学校スポーツの問題点だよなと思う。どうせなら、アメリカのカレッジスポーツみたいに、商売だと全面に出してくれたら納得いくんですけどね。それに、部活で教育なんておこがましいと思う。本当に学べるやつは、日常生活からでも、いろいろなことを学ぶし、バカはなにをやっても学ばないというのが、三十も生きていて思うことです。