永ちゃん

ryu482005-03-11

読者(?)さんから、今月のブブカに落合夫妻記事が載っていますと、タレコミを頂きました。素直にブブカを買ったのですが、落合一家もいいが、永ちゃんもねということで、今日はブブカに載っていた矢沢永吉のしびれるお言葉を紹介。
しかし、ブブカ初めて買いましたよ。今まで立ち読みですましていたのに、東京では封をされているんですよね。世知辛い世の中です。

「矢沢って名前で八百屋に行っても大根タダでくれねぇもんな」
自分は歌を歌ってナンボのものであり、何もしない自分には大根一本の価値もないという、永ちゃんの仕事感が良く出た発言。記事の中で、そんな自分の歌の利権に食いついてくるマスコミやレコード会社への軽蔑と別離を語り、この仕組みに気がついた自分を評して「やっぱ矢沢、ただもんじゃないよね」
「このドア、フェアじゃないんじゃない?」

手動のドアを自動だと思いこんだ永ちゃんは、そのまま開かないドアに激突して額を強打。それでも平然とした態度で店内に入り、マスターに向かって発したのが、このセリフ。
「特攻服での入場はお断りしています」
コンサートチケットより
「ロックンロール気狂い募集」
「キャロル」結成にあたりアマチュアだった永ちゃんが川崎の楽器屋にだした張り紙。ちなみにこれを見てやってきたのが後のジョニー大倉だった。
「プッツンいったら日本刀持って行ってやろうという気はあったよ」
70年代に山中湖の近くに建てた豪邸の場所を、一部のマスコミが大々的に報じたために、ファンが自宅に押し寄せる騒ぎになったことについての怒りの言葉。当時、奥さんがノイローゼになってしまい「芸能界というのはチンポの中までむいて」ナンボの世界だと実感したという。
「俺、なんでこんなことをしているんだ」
楽屋のないライブハウスに招かれ、その近所の駄菓子屋さんの六畳一間を借りて、着替えなどをしていた時は、さすがにこう思ったという。
「コンサートはドリームだから」
1990年にはじめてコンサートツアーの制作を自社で行う際、永ちゃんは一曲のために100人のオーケストラを呼ぶなど、自分の理想のために予算に糸目をつけなかった。結果、すべて満員御礼だったのにも関わらず、ツアーは赤字。その報告を受けたとき、こう漏らしたという。

そして、永ちゃんの噂、小ネタ

・キャデラックに乗って、近所のタバコ屋へ行く
・豪邸のベランダと屋根、プールの底には「E.YAZAWA」と大きく描かれていた。
・「ビッグ」「グレート」と自分を形容する言葉もランクアップさせていった永ちゃんだが「これからはジャンボ」と言っていたことは、あまりしられていない。
・「キャロル」時代に、当時からスターだったジュリーと知り合い、「電話してよ」と番号渡して、毎日ワクワクで待つが、結局かかってこずにションボリ
永ちゃんは大の冷凍ミカン好き。それも中身ではなく、入れ物の網の方。たくさんの網をくるくるリンゴ状にまいて、列車の窓辺に置いて帰るのが楽しみなんだとか
・最初の奥さんと暮らした7年間で殴ったのは一回しかない。蹴りを入れたら動かなくなって、それから怖くて殴れなくなったらしい。
・実はカラオケ好き。
・コンサートの打ち上げで高級クラブに行った際、髪型が違ったせいもあり、女の子に矢沢だと気づかれない。そこで、ステージと同じアクションをまじえつつ自分の曲を熱唱したところ「すごく似てる。物まねの人?」と言われ、ムッとして帰ったことがあったらしい。
・35億円詐欺被害と同時期に、永ちゃんの関連会社が所得の申告漏れから1億円の追徴課税を請求されていた。
・その際に「矢沢は子供の学習塾の滋養まで必要経費として計上していた」という談話が報道される。
・ツアー中10日間くらい食事にラーメンかカレーしかでない事があり、さすがにスタッフもいらいら。そこで打ち上げの日にさっそうと現れた永ちゃんは「今までわざとみんなをハングリーにしてきたんだ。すまなかった。今日は豪勢にいこう!矢沢のおごりでカツカレーだ!」と叫んだという
・ちなみに喫茶店の二階をスタジオ代わりにしていたアマチュア時代。永ちゃんはツケでカレーの大盛りばかり食べていた。
・「成り上がり」まで自分で買ったレコードは4枚しかなかった。その4枚はビートルズの「ラバーソウル」とバリー・ホワイトの「愛のテーマ」、ナタリーコールの作品と、最後の一枚は井上陽水の「氷の世界」
・ちなみにその頃、宴会で歌うのは必ず「炭坑節」だったという。

しびれるぜ、永ちゃん