ローマ軍は兵站で勝つ

日本の軍隊には兵站という概念が少ないのは、所詮、明治までは同じ言葉が通じるもの同士の争いだったのと、米という万能の植物のおかげなのかなと思う。結局、兵站を全然考えていなかったから、二次大戦では、蚤のように、太平洋、アジア大陸に散らばって、軍としての体裁をなさないような状態だったわけですが、この兵站の軽視は、今の自衛隊にも残っているのではと、某所で強く感じました。
某所では、補給物資はしっかりあるんですよ。ただし、漫画「エリア88」の砂漠に基地を作った時の状態。物資はあるが、それが整理されていないめ、用をなさない。そして、必要としている場所に、その物資を運びきれない状態なんですな。
本来なら、補給物資の輸送なんて、軍隊の最も大切な要素なのだが、はっきりいいまして、あまり自衛隊が活かされていないと感じました。また、ライフラインや仮設住居の設営なども、本来は軍隊の工作の見せ場じゃないですか、でも、ここでも自衛隊が…
もしかして、自衛隊の基本戦略って、某国が攻めてきたら、基地に篭って亀のように隠れながら戦うってことなんでしょうかね。で、篭城してアメリカからの支援を待つと。だが、その場合、基地に住まない住民は見捨てるのですかね。二次大戦で、街に住む人々を捨てて、山に隠れて本土決戦を行なおうとしたように。自衛隊に詳しくないのでわからないんですが、本当に兵站に関しては、緊急災害時にこそ必要なので、もうちょいなんとかして欲しいかなと思いました。と、思って調べたら、防災関係の内閣府特命担当大臣は、国家公安委員会委員長の村田さんが兼任なのね。この辺の縦割りもあるんですかね?
えーと、それともう一つ感じたのが、国が考えている「国民の生活」ってものなんですよね。
ガスが届いた、電気が届いた、水が届いた、プレハブ建てた、でもね、衣食住があっても、それが生活ではないんですよ。僕にとって生活とは、テレビ見ながら、パソコンの前でこんな文章を書いたりすることなんですよ。どうも、その辺、わかってないような気がします。緊急時になにをって怒られるかもしれないけど、本当に、そういう何気ない生活を早く復活させてこそと思うんですよね。