今更ですが、女子マラソン代表選考について

今更、書く気はなかったんだけど、プロでもこういうふうに書くのかと、驚いたんで。

 高橋より土佐を選んだのを支持する土佐派のほとんどが、陸連は選考競技会の選考基準にそったものだから良いという考えだけど、その前に、選考基準というのは、”選考競技会をもとに、メダルを取れる選手を選ぶ”というものである。いや、あったはず。

 だから、順位やタイムというのは選ぶ要素であるけど、それで選ぶわけではないんだよね。競馬のG1のトライアルレースと違い、結果優先ではなく、負けてなお強しの馬も含めて、本当に強い馬(失礼!)を選び抜こうというものである。サッカーや野球の代表選びに近いもの。例え、代表のフォワードは得点だけで決めるわけではないでしょ。世界で勝つために、どのフォワードが通用するかで選ぶものでしょ。

だから、選考会の順位やタイム(だけ)で決めましたというのは、明らかに選考基準から見ると、実は全くの間違いである。一発勝負選考なら、それでいいかもしれないけど、3レースから選ぶというシステムでは、条件がレースごとに違うマラソンの特性では、結果だけで決めることはできないというのは、凄い論理的なんだよね。例えのサッカーで言えば、チーム状況とかいろいろあるから、得点数だけでフォワードを決めるわけではないのだから。

 土佐派の人の多くの、選考会至上主義というのは、選考基準の趣旨を誤って捉えている。そして、大部分のマスコミがそうである。でも、順位やタイムだけで決めるのは、何度も書きますが、論理的に間違い。前の有森の例がおかしいと言う人がいるけど、むしろ有森の選考と言うのは、選考基準にしっかりあっていたと思います。

 本来、問われる部分は、選考会を通して誰がアテネの時点で強いかという部分である。

 土佐派の人が、「高橋は選考競技会で調整ミスをした。アテネでも同じミスはする可能性が強い。年齢的にも調整が難しい。それなら、一発で調整してきた土佐の安定性をかいたい」とか、言うなら、僕も納得する。でも、「タイムが・・・順位が・・・」「選考会を重視した」とか、言われると、おいおい、お前ら選考会の趣旨を間違って捕らえているのは君達で、君達の意見こそ選考会の趣旨を軽く見ているんだよとなるわけです。で、困ったことにマスコミを含め後者の方が多いと。

 小出監督が言っていた「えらい人たちが高橋では勝てないと判断した。悔しい」っていうのを、高慢に捉えた人もいたみたいだけど、小出監督の言うとおりなんだよね。選考会の趣旨を正確に捉えれば。レースの順位やタイムでは、他のランナーに劣っていたが、タイムが出にくい大会で、それも明らかな調整ミスをしたがそれでもきっかり2着につけた高橋が、結果は残したが20分台で限界なランナーより、陸連はアテネで勝てないと見たということだから、選考会の本来の趣旨で陸連が選んだならばですが。

 陸連は、選考会の本来の趣旨で選手を選んだんだろうか。論理より、感情の部分で選んでないだろうか。土佐を傷つけないために(外したら、結果は君の方が上だけど、君じゃあアテネで勝てないよということになるからね。逆に、高橋は選考会の結果が悪いんだからと含みをもたせることができる)、そして陸連の批判が少ない方を選んだのではないだろうか。僕から見ると、そんな気がしてならない。陸連自身が、今になって選考会の趣旨、選考基準を捻じ曲げていないかと。そして、なにより問題が、その捻じ曲げられた趣旨、基準を、マスコミや多くの人たちが理論の土台においてあることである。そう思ったので、この拙文を書きました。