マスターキートン

週刊文春より

第九回手塚治虫文化賞の受貨者が発表されたのは五月九目のこと。栄えあるマンガ大賞を受賞したのは、漫画家の浦沢直樹氏の”PLUTO”。一九九九年の受賞に続く二度目の快挙となった。ところが、その一方で、浦沢氏の代表作が、人知れず消えていたのだ。
八三年に”BETA”でデビューした同氏。次々とヒット作品を生み出し、漫画賞を総ナメにして来た。中でも代表作と呼ぱれるのが、八六年から九三年まで連載された”YAWARA!”と、八八年から九四年まで小学館ビッグコミックオリジナルで連載された”MASTERキートン”。
「物語の設定が詳細で現実的であることや、いわゆる漫画ヒーローではなぐ、どこにでも届そうな主人公が事件に立ち向かう姿が読者の共感を呼んだようです。原作者が”勝鹿北星”という謎めいたペンネームを使ったことも大きな話題となり、ファンの間ではその正体を巡り、論争が起こったほどです」(業界関係者)。
ところが、言わば「浦沢直樹出世作」となった”MASTERキートン”に、最近ある重大な”異変”が起きているのだという。
「千五百万部という大ヒット作である”MASTERキートン”ですが、この一年間ほど書店の店頭からパッタリと消えてしまったのです。版元の小学館も『在庫なし」を理由に書店からの発注を受け付けておらず、事実上の絶版となっています」(漫画編集者)
アニメ化までされた大ヒット作が絶版とは、一体何が起きているのか。原作者である勝鹿北星氏の友人が語る。「”MASTERキートン”は確かに絶版になっています。勝鹿北星こと菅伸吉さんから聞きました、浦沢さんと、作品の担当編集者だった長崎尚志さんとの間に著作権を巡るトラブルがあり、それが原因で絶版になったと聞いています。事実関係を確認しようにも、菅さんは昨年十二月に癌で亡くなっているのです」
浦沢氏に取材を申し込むと意外な答えが返って来た。
「これに関しては、本当に込み入った事情がありまして。連載当時”YAWARA!”を並行してやってい
たこともあり、原作者をつけるというのが編集部の判断だったんです。原作者として菅さんがついて下さった訳なんですが、現実には私と担当編集だった長崎尚志さんが作る語が主流になっていました。
そんな状態が何年も続いたので、正直なところ、印税の面でも納得しかねる部分があったんですが、『これも修行の一つだな』と思っていました。ところが、ある時期に菅さんが『原作を降りたい』と言い出した事が発端で、会社との関係がこじれてしまったのです。そんな状態で出版を続けるのは健康で
はないと、五年程前に僕の方から(出版の停止を)お願いしたんです。最終回も僕がエンディングを考えて、終わらせました」
小学館を退社し”PLUTO”のクレジットにも名を連ねるプロデューサーの長崎尚志氏も重い口を開く。
「今となっては言いにくい事ですが、私が担当した前半、菅さんは(原作を)仕上げたこどがありませんでした。全部私と浦沢さんで書いていましたから、私が異動になり、担当を外れてから、その辺りの事実関係を浦沢さんが直接知ることになったんです」
前出の友人が続ける。
「菅さんは”MASTERキートン”連載終了後、”ラデック鯨井”のペンネームで執筆を続けていましたが、事あるごとに『長崎さんはもう俺のことを必要としなくなったんだ』と漏らしていました。事実関係はともかく、菅さんは作品から『締め出された』と感じていたのは事実です。葬式にも小学館関係者は一人も来ていませんてした」
別の関係者が”絶版”に至った経緯を打ち明ける。
「菅さんが原稿を書いていなかったのは周知の事実で、たまりかねた浦沢さんが『作家としてクレジットが載るのはおかしいから、名前をもう少し小さくして欲しい』と申入れたそうです。当然印税率の話も出たのですが、最終的にはそれまで通りの五対五で構わないから、増刷分は原作者の名前を小さくする、ということで折り合いがついたのです。これで一件落着のはずだったのですが、そこに現れたのが”美味しんぼ”の原作者である雁屋哲さんでした。雁屋さんと菅さんはもともと共に”ゴルゴ13”の
原作を書いていた、言わば”盟友”。『”勝鹿北星”の名前が小さくなることは断じて許せない』」と小学館に対して強く抗議したのです。ヒットメーカーである雁屋さんが目を光らせているとあって、増刷に踏み切れないでいるということです」
どのような事情があるにせよ”MASTERキートン”の一刻も早い増刷を願いたい。名作はあくまでも読者のものなのだから。

そうか、全ては、雁屋哲のせいだったのか(短絡思考)。